M o v i e
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映画「インセプション」観ました。(2回目) さて、話は他人の夢の中に入り込むことが出来る機械がある近未来の話で、夢の中で色々なミッションをこなそうとする人たちの物語です。 2回目見てて、最初っから色々と複線が張られていたんだな〜と気付かされました。 (というより、最初の方の話は2回見てやっと理解できました。) 最初のサイトーの城からの件は、これが2層目の夢であるというのが細かいところで描写されていたり、モルとコブの事実を知ってからモルのセリフを聞くと実は最初の方からやたらと重要な事をさらっといっていたりするんですね。 なにより、ラストシーンの意味を考えながら2回目を見てると、映画全体がまた違った見方が出来てしまうのが面白いです。 ラストシーン、コブがいるのは夢の中なのか、現実なのか。 エンドクレジットであの歌が再び流れてその後タイトルバックが再び繰り返される事の意味は・・・現実に戻って来たはずなのに子供たちの姿があまりにも夢の中の姿と変わらないのは・・・つまりこれ(ラスト)も夢だったという事なのか・・・ 調合師の施設で老人が語った言葉や、最深部でのモルのセリフなんかを考えても辻褄があってしまうのが・・・なかなか考えさせられます。 映画「インセプション」観ました。(3回目) インセプションは心理学的な部分や哲学的な部分が多くて、でも多分正解は無いので、映画の意味についていつまでも考えてられるのが心地良くてつい観てしまうんです。 やはり気になるのはラストシーンの意味ですが、パラドックスの世界なので別々の可能性が同時に起こり得るという事は、結局どっちの可能性もあるという事ではあると思います。 (つまり階段の騙し絵とかと同じで、矛盾してる世界が存在してても問題ないという事) しかしあえて「やっぱ夢なんじゃないか」という観点で観てみると・・・最初の方でのホテルの電話から既にコブがインセプションされていて、あの子供たちは全てモルと同じで幻影、という気がしたり、(パリで父親に会った時の父親の「現実を見ろ」という言葉とか、「今度は愛妻家」の井川遥の場面と同じにも見えるし) スタッフロールで子供たちの年齢が3歳と5歳でキャスティングされているのに、最後の場面で出てくる姿は3歳の方ではないか(幻影の方)という気がしたり・・・ 独楽が止まれば現実という事実があるが、これもコブがモルにインセプションされてそう考えているだけだとしたら・・・とか、夢の第1階層で最後に目覚めたのはフィッシャーたちとアリアドネ、アーサー、偽造師で、目覚めなかったのはコブとサイトー、調合師の三人なのだがその後の空港のシーンでは全員ちゃんと目覚め、さらに空港にはコブの父親が何の脈絡も無く待ってるのがやはり不自然な感じがしたり・・・。 逆のパターンで考えると、虚無の世界に行ったときにはサイトーの夢もコブの作った世界も、必ず海の波打ち際から始まるのですが、ラストシーンはそんな感じではなかったので、あそこは虚無の世界ではない、という仮説は立ちます。(コブの虚無の世界は崩れてしまってますが) ただしスタッフロール中にまたあの曲がかかって、もう一回夢から覚める的な選曲がなされているので、映画全体が一階層分の夢だったという事なのかもしれません。 (分りにくいが押井守監督のAvalonのラストみたいなもの。) 考えるとキリがなくて楽しいですね・・・。 さて、ipodの「町山智宏のアメリカ映画特電」で語られていたのですが、映画の中に同じフレーズの言葉が3回出てきます。 「leap of faith」(神を)信じて飛び込みなさい・・・という意味でアメリカではよく使われる言葉だそうです。 1回目はサイトーがコブに最初に仕事をさせる時にコブに対して言います。 2回目はモルが飛び降りようとする時に、コブが一緒に飛び降りるのを拒んだ時に。 3回目は最後のサイトーの夢の中でコブがサイトーに対して。 どれも重要な場面なので、なんらかの意図があると思われます。 他にも、「望んだ場所にいけるがどこへ行くかはわからない・・・」という言葉も3回出てきます。 最初はコブが列車に轢かれる時にモルに言った言葉ですが、それをモルが夢の中でアリアドネに対してとコブに対して言っています。 これもなかなか意味深です。 |